「100パーセントの結果を出さなければならない」
と思うと、つい立ち止まってしまう。
そんな気持ちは誰にでもあるでしょう。
けれど、もし行動すること自体に
意味があるとしたら、
どうでしょう?
僕は毎年、高校3年のクラス会の
幹事をしています。
名護高校31期生の中で、
毎年クラス会を開いているのは
僕たちのクラスだけ。
最初は不定期でしたが、
ここ20年は恒例行事になりました。
49年前に卒業したクラスメートのうち、
毎年15〜25名が集まります。
卒業して約50年、これだけの人数が
集まるのは実は素晴らしいことだと感じています。
人からは「すごいね」と言われますが、
自分では特別なことをしているとは思いません。
確かに準備には手間がかかります。
日程や場所の決定、予算の組み立て、
案内葉書の発送、参加確認、
当日の準備…
こうした作業は細かくて手間がかかります。
でも、「難儀だなぁ」と感じたことがありません。
なぜかと言うと、楽しんでやっているからです。
その理由は、
「最初から100パーセントを目指していない」
からだと気づきました。
もちろん、たくさんの人に来てほしいと願っていますが、
「○○名集めなければならない」
とは考えていません。
自分に言い聞かせているのは、
「やること自体に意味がある」
ということです。
何かを始めようとして躊躇してしまうのは、
結果への不安があるから。
けれど、その考えを
「100パーセントでなければならない」
から、
「やることに意味がある」
へと切り替えてみてください。
そうすれば、もっと楽に始められるかもしれません。
昨日もクラスの同級生たちと
忘年会を開きました。
昼は南城市でランチ会、
夜は名護に戻って居酒屋での集まり。
新たに40数年ぶりに再会した人もいて、
その場の笑顔や再会の喜びを見ると、
「また来年もやりたい」
と思えてしまうのです。
準備は大変ですが、仲間の笑顔や
「また来年も会おう」との声に報われる。
その瞬間が、
すべてを価値あるものにしてくれるのです。