北京オリンピックが開催された頃、
僕は障害を持つ方々の就労支援を
行う仕事をしていました。
そこで出会った一人の女性、Rさんの話です。
Rさんは知的障害を持ちながらも、
沖縄県名護市にある小さな会社で
働いていました。
その会社は社員15名のうち、
事務員を除けばほぼ全員が男性で、
作業着を着たスタッフが毎日忙しく働く、
少しむさくるしい雰囲気の場所でした。
Rさんの仕事量は、
一般の人の10分の1にも満たないものでした。
それでも彼女が採用された理由は明確でした。
「いつもニコニコして、挨拶がとても上手だから」
それだけでしたが、その挨拶は会社の中に
ある特別な温かみをもたらしていました。
朝、従業員や社長が出かける際には、
Rさんの元気な声が響きます。
「○○さん、行ってらっしゃい!」
「社長、行ってらっしゃい!」
帰社したときには、
「○○さん、お帰りー!」
「社長、お帰りー!」
彼女の明るい挨拶は、社員たちだけでなく、
来客や取引先にも同じように届けられました。
まるで彼女の挨拶が、会社全体を包み込む陽だまりのようでした。
しかし、そんな温かい職場にも厳しい試練が訪れました。
オリンピック後の不況の影響で、
会社の経営が苦しくなり、
取り扱う商品の価格が暴落。
給料の遅配が始まり、社員は次々に辞めていき、
15名いた社員は4~5名にまで減少しました。
会社内の雰囲気もどんどんギスギスしていきました。
そんな中でもRさんは変わりませんでした。
いつものように明るい声で「行ってらっしゃい」
と手を振り続けました。
ある日、僕が会社を訪れたとき、
ちょうどRさんが社長を送り出す姿を目にしました。
「社長、行ってらっしゃい!」
満面の笑顔で手を振るRさん。
その時に社長が僕にこう話したのです。
「岸本さん、俺はあの子のために、
この会社を絶対に潰さない。
あの声にどれだけ励まされたかわからない。
夜はコンビニでバイトしてもいい。
彼女のために、この会社だけは守り抜く」
社長の目には涙が浮かんでいました。
その言葉は、今でも胸に深く刻まれています。
その後、社長は新しい事業を展開し、
会社は見事に復活を遂げました。
厳しい状況の中でも、Rさんは変わらず、
いつもの明るい挨拶を続けただけでした。
彼女は会社の経営状況や周囲の雰囲気を気にすることなく、
ただ純粋に、自分のできることをやり続けていたのです。
Rさんから学ぶこと
「ただ明るく挨拶をする」。
それは一見簡単そうに見えて、
実際には難しいことです。
相手がどう思うかを気にせず、
純粋な気持ちで挨拶を続けるには、
自分自身を律する強さが必要ですね。
Rさんの姿を見て、大切なことを教えられました。
日々の生活の中で、Rさんのように
「明るい挨拶」
を意識し続けることはできるでしょうか?
簡単なようで難しい、
しかしその小さな行動が周囲に
どれほど大きな影響を与えるか、彼女は教えてくれました。
ランキングに参加中です。
良かったらぽちっと押してください。
👇